日本人にとって、ソムリエという職業ほど、誤解されているものもない。フランスで長
いこと食べ歩き、ソムリエたちの仕事ぶりを見てきての率直な感想である。
ソムリエといえば、レストランでワインについて薀蓄を傾け、お客の注文した料理に合
わせてワインを選んでくれる人、というのが一般のイメージではなかろうか。しかし実際
には、レストランでワインについて講釈をしている姿を見るのは稀であり、また、料理と
ワインの相性についても、こちらから聞かなければ、とやかく世話をやいてくれるという
ものでもなかった。
大抵は、料理を注文した後に、ワインリストを渡され、しばらくして、「ワインはお決
まりですか」と聞きに来て、「はい、これにします」と言えば、それで終わりである。方
々のレストランを見てきたが、凡そこんな具合であり、普段はソムリエと話す機会がそれ
ほど多くはなかった。
これが、レストランでのごく日常的な風景である。ところが実際には、お客とソムリエ
の間に、虚々実々の無言のやりとりがある。ワインに詳しいお客ならば、ワインリストを
見れば、ソムリエの仕事ぶりが一目瞭然である。どの程度のテイスティング能力を持って
いるか、どんなタイプのワインが好きか、さらには、特定の生産者への思い入れ、といっ
たことを知ることもできる。ワインリストは、いわば、ソムリエの “通信簿” といっても
よい。それによって、ソムリエの考え方や能力を推し量ることができる。逆に、ソムリエ
から見れば、お客の選ぶワインで、お客がどれくらいワインについて知っているかを推察
することができる。
あるとき、パリのシャンゼリゼ通りの近くにあるレストランで食事をしたことがある。
そこは、フランスでも有名なパティスリーが経営するお店とのことで、店構えもなかなか
立派なものであった。当時、仕事はボルドーであったが、住まいはまだパリにあり、用事
があってパリに戻った折のことであった。
会食者は、同僚のフランス人と日本からの来訪者であったが、こちらがボルドーに住ん
でいるということで、ワインを選んでくれるように言われた。早速、ワインリストを手に
してみると、載っているワインの数が意外に少なく、内容もとてもお店に相応しいもので
はなかった。選ぶのに窮するほどであり、お店の人に「このリストで、何を選べというの
か」と苦言を呈した。
フロアーの担当者は、困惑した様子で、「このリストは、世界のソムリエ・コンテスト
の優勝者が作ったものなのですが」と答えてきた。「そんな馬鹿な。そんな人がこんなリ
ストを作るはずがないではないか」と言い返した。とはいえ、仕方がないので、リストの
中からなるべくマシそうなワインを選んだが、案の定、満足できるものではなかった。外
見は良くても、中身の伴わないレストランであった。
後日、店の人から聞いたソムリエのことを調べてみた。どうやら、彼が言っていたこと
は嘘ではなかったようだ。二度、腹が立った。このソムリエは実際にお店で働いていたわ
けではなく、アドバイザーの立場でワインリストを作っていたらしい。
さらに後で知ったことだが、この世界一のソムリエ氏がある雑誌の付録としてボルドー
のワイン一覧といったような記事を書いていた。立派なものであった。同じ頃、スーパー
マーケットのカタログで彼が推奨するワインリストを見た。こちらは、お粗末な内容であ
った。この違いは何を意味するのか。「ビジネス イズ ビジネス」ということか。しか
るべき立場にある者が、看板と中身が違うことをしているのは困ったものである。
こんな話と別に、嬉しい体験をさせてもらったこともある。前の会社のヨーロッパの本
部がベルギーにあり、アントワープという町の近くのレストランへ招待されたときのこと
である。この町は、フランスへ駐在する前に一年ほど住んでいたこともあり、懐かしいと
ころであった。
連れて行ってもらったレストランは、閑静な庭園の中にあり、環境の素晴らしいところ
であった。テーブルに着き、料理を決め、ワインを注文することになった。この頃は私が
すでにワインの仕事をしていたこともあり、ワインのオーダーを任されることになった。
リストを渡され、目を通してみると、価格が手頃で気の利いたワインが数多くあり、す
ぐに試してみたいと思う銘柄だけでも十点ほどあり、選びあぐねた。至福のときである。
周囲から急かされたが、なかなか決めかねるほどであった。ようやくにして、白と赤を一
本ずつ選んだ。
しばらくすると、招待者の知り合いでもあるフロアーのマネージャーがやって来て、何
事か話し始めた。フランス語ならわかるのだが、フラマン語だったので、会話の内容がつ
かめなかった。あとで聞いてみると、こちらのワインのセレクションにお店のソムリエが
大変喜んでいたとのこと。お店がヨリをかけて選んでおいたワインに、こちらの好みがピ
タリと合ったようだ。お店とお客の双方にとって嬉しいことである。これがレストランの
醍醐味である。帰り際に、お店のワインセラーを見せてくれた。素晴らしいコレクション
であったことは言うまでもない。
こういったレストランでの体験を積み重ねての私なりの結論だが、本場のソムリエたち
の仕事の基本は次の三点に要約されそうだ。
1.ハズレのないワインリストを作る
レストランでいいワインを見つけるには、ソムリエに聞け、といわれるが、最初か
らどれを取ってもハズレのないワインをリストアップしておくことが、ソムリエの
第一の仕事である。パリのお店のような場合、ソムリエに聞いても仕方がない、と
いうことである。
ハズレのないリストができれば、ソムリエの仕事の半分は終わったといっても過言
ではない。また、いいワインを選んである、という前提がなければ、料理とワイン
の相性などを語る意味がない。きちんとしたリストを作らずに、セールストークで
ワインが売れたとしても、それをプロの仕事とはいわない。
2.お店の料理の価格帯にあったワインを充実させる
有名な高級ワインを並べるだけでは、いいワインリストとはいえない。ベルギーの
お店の場合、もちろん高級ワインも載っていたが、手頃で良質な掘り出し物が目白
押しのいいワインリストであった。星付きレストランであっても、こういったリス
トを用意しなければ、本場のお客たちはソムリエの存在価値を認めない。
多くのレストランを食べ歩いて知ったことは、お店の料理の平均客単価に相当する
ワインがその店の最も重要な部分を占める、という大原則である。例えば、料理の
客単価が四千円の店であれば、まず四千円近辺のワインの品揃えを充実させて、そ
れからその上と下のものを考えるというわけである。この店の場合なら、二人で四
千円のワインを一本取り、一人あたりの負担が二千円になる、というのがお客にと
ってのワイン代についての常識的な感覚である。
これが本場の常識なのだが、我が国ではこの原則を理解しているお店がどれだけあ
るだろうか。料理が四千円なのに、ワインは五千円以上のものが多い、といった例
が少なくない。逆に、四千円以下のワインを用意してあっても、料理を楽しむのに
相応しくない内容であったりする。お店側が、このワインの品揃えの常識を理解し
てくれない限り、レストランでリーズナブルにワインを楽しむことは難しい。
3.1と2を踏まえたサービス
上記の二点がソムリエとしての仕事をするための重要な条件である。これらをクリ
アーできれば、あとは接客業としてのサービスである。しかし実際には、この二つ
の条件を満たさずに、それを接客上のサービスでカバーしようとしている人たちが
少なくないように見受けられる。これでは、本当のプロとはいえない。この二つの
ことができていれば、冒頭で述べたように、ソムリエとお客の間で以心伝心の関係
を持つことができ、必要以上の会話は要らない、ということになる。
以上が、本場で見たソムリエの仕事の役割である。もし、ブラインド・テイスティング
でワインのヴィンテージとシャトー名をピタリと当てたり、 “森の中を吹きぬけるそよ風
のような” 、などと文学的にワインを表現する “マジシャン” のような存在としてソムリ
エを見ているとすれば、それは幻想以外の何ものでもない。
ソムリエのコンテストなどでブラインドでワインを当てる競技があり、そこで勝つよう
なら、何でも当てられるか、といえばそうでもない。過日、そういったコンテストのある
優勝者がテレビのワイン紀行に出ていた。フランスのボルドーとブルゴーニュを訪ね、そ
こで同伴者が隠し持っていたワインをブラインドで当てるという趣向であった。
結果は、二回ともハズレであった。私の記憶違いでなければ、ボルドーでは、85年あた
りのマルゴーの赤を90年代のワインと答えた。ブルゴーニュでは、サン・ロマンの赤をモ
レイ・サン・ドニのワインだと答えていた。結構なハズレである。しかし、彼の名誉のた
めに言えば、別に恥ずべきほどのことではない。こんなものなのである。
フランスの醸造学の第一人者がその著書で書いているように、ブラインド・テイスティ
ングでワインを当てるようなことは、所詮ゲームであり、そのように理解すべきものであ
る。そこで当たるかどうかはそれほど重要なことではない。一方で、ワインの品質を見極
めるということは、ゲームではなく、プロとしての大事な能力である。それがなければ、
プロとしての仕事はできない。しかし、コンテストにはこれを試す種目はない。
ワインの表現については、自己陶酔的で、わけのわからない説明をするソムリエに出会
ったならば、言われたことが理解できなくても、それはあなたの責任ではなく、彼自身に
問題があると考えてよい。専門家が言うのだから、訳がわからなくても、有り難いものに
違いない、などと思う必要はない。別の機会に詳しく話したいが、ワインの表現には共通
の用語が決められていて、それで表現することにより、より多くの人々が同様に理解でき
るような仕組みになっている。文学的表現はそれを補足するためのものと考えればよい。
ボルドー大学でワイン・セミナーを受講したとき、教授の一人から次のように言われた
ことを覚えている。例えば、品質の違う三本のワインがあったとして、それらの品質の優
劣を捉えることができるとする。しかし、それだけでは、プロとして不十分である。プロ
ならば、実際に見たり飲んだりしていない人に対しても、各々のワインの違いをイメージ
できるように説明しなければならない。それが、プロのワインの表現である、という。
ここまでの話で、ソムリエについてのあるべき姿をいくらかでも見直してもらえれば幸
いである。ところで、日本でソムリエの資格を持つ人の数は、本場フランスでソムリエの
仕事をしている人よりも多いのではないかといわれる。もしそうだとすれば、大変なこと
である。今の日本には資格者の数に見合うだけの働き口があるとは思えないし、資格だけ
が持て囃されても、現場でその仕事の重要性を認知してもらわなければ、この先も彼らの
活躍の場が増えるという保証はない。一部に見られるように、ソムリエ・コンテストでの
入賞などで箔をつけ、 “副業” に精を出すといった動きは、本業で十分に報われないこと
の裏返しなのだろうか。もしそうだとすれば、それは決して健全な方向とはいえないし、
また多くのソムリエにとって問題の解決策にはならないだろう。
いや、ソムリエが必要以上に多いからといって、そんなに心配することではなく、単に
日本人が資格好きである、ということの表れに過ぎないのかもしれない。レストランやバ
ーでワインの仕事をするわけでもないのに、ソムリエの資格を取りたがる人が少なくない
ようだ。ワインに精通した人の象徴としてソムリエを見て、自分もそうなりたいというこ
とだろうか。ただ、ワインをよく知っている人の象徴がソムリエだというならば、異議あ
りである。アマチュアでも普通のソムリエ以上にワインに詳しい人はいくらでもいる。
よく、「あなたはソムリエの資格を持っていますか」と聞かれることがある。私はワイ
ン商であり、レストランで仕事をするわけではないので、ソムリエの資格を持つ理由がな
いし、持ちたいとも思わない。そのように答えると、中には、腑に落ちないような顔をす
る人がいる。ソムリエの資格を持っていなければ、信頼するに足らない、とでも言いたい
のだろうか。私の仕事にはソムリエにアドバイスをすることも含まれており、また彼らか
ら意見を聞くのも大事なことだと思っている。要するに、同じくワインを扱っていても、
仕事をする立場が違うだけであり、ワインについての造詣が深いかどうかは、双方にとっ
て個人的な問題である。いずれの場合も、いいプロもいれば、ダメなプロもいる。資格を
持っているから安心、というわけにはいかない。最もいけないのは、資格もあり、能力も
ありながら、いい仕事をしないことである。これだけは、願い下げである。
ワインの良し悪しの判断を任されるということは、鑑定士の仕事に通じるものがある。
その意味では、ソムリエはワインの鑑定士という側面を持ち、その信頼性を期待されてい
るといってもよい。しかし、例えば、広告に出てワインを宣伝するような場合、もはや鑑
定士の役割を果せるかどうかは定かでない。その際は、本人の日頃の行動や人間性にも注
目する必要がある。能力と、人間としての、二つの信頼性がなければ、鑑定士の役目は務
まらないからである。このように、ワインの仕事では、信用ほど大事なものはない。しか
し、必ずしも、資格イコール信用とはならないところに難しさがある。
今回は、ソムリエにとって耳の痛い話かもしれないが、それは、先に話したベルギーの
レストランのようなお店が一軒でも増えて欲しいと願うからであり、今こそ、原点に返っ
て、ソムリエの仕事とは何か、ということを問い直してみてもよいではないか。